マルチメディア(芸術)について
最終的にはテレビ局(放送局)だ。メロドラマというものは、社会に対する意見や多くの人々の生活の内容が反映されている。主婦達が観ることにより、彼女達の考えが変わり、ライフスタイルが変わる。私達の使命は世界を変える事であり、力を合わせればできることだ。セキュリティ(安全性)とは、人々のガイドをしてあげる事だ。セキュリティはそのようにして生まれる。毎日の生活の中で、習慣性を決める重要な役割だ。プラットフォーム(テンプレート)を作る事によりセキュリティが生まれる。それがないと不安定が生まれ分裂する。文明を作る上で重要な事だ。人々の人生が善くなり自信を持ち、セキュリティが生まれる。多くの人生の先輩から学び、親達が見本を見せてゆく。人々はみんな、人生が善くなるように望んでいるのだから。
善い人の生き方の内容(人生論)がマルティメディア(芸術)通じて伝達されなければならない。教会の中だけにとどめておいたのでは駄目だ。一般的手段で人々の中に入り込まないといけないのだ。マルティメディア(芸術)は全ての社会の中に浸透した道具である。もちろん、他の多くのライバルを打ち負かしてゆかなければならないが、人々はチャンネルを合わせてゆけるのだから、一人一人伝道していく必要が無い。だから、ネットの中にコンテンツを入れるのだ。それで多くの人が解放される。これが伝道なのだ。伝道する人材をマルティメディア(芸術)に投資してゆく。私達は一番高いレベルの生き方を追求してゆくことにより、全体の基準をあげてゆける器を持っている。個人個人のできる内容に差があるから、自分のできる分野で才能を伸ばしていく必要がある。成功できない人達はなぜ成功できないか?才能を伸ばせてゆけないところにいるからだ。だから私は、自分の方向性の中で、できる内容のトップを目指してベストを尽くせというのだ。
今の教会のマルティメディア(芸術)の使い方は、お父様が何をやっているか伝えているにすぎない。私達は障壁を乗り越えて伝えてゆく使命がある。例えば、普通の人間の汚い言葉遣いや振る舞いをいくら言葉で説明しても伝わらないが、映像にすればドラマにすれば人々は覚え、それが善いか悪いか判断する事ができる。例えば「Take the food.(取って食べよ)」という言葉。子供達は頭の中でその光景をイメージしなければならない。その経験もないのに頭の中でイメージするのは難しい事だ。しかし映像があればキャッチすることができる。このように見せてゆけばいい。何がどうゆう感情を抱かせるかということをしっかりと把握してゆけば良いのだ。そうすれば子供達をしっかりとコントロールしてゆける。
納得させる事は難しい。善悪の果を食べるなという神の教えやサタンの誘惑は単なる言葉ではない。多くの挑発的な態度や言葉を使いながら誘惑していったのだ。
マルティメディア(芸術)は多くの凡例、公式を教えてゆく事ができる。可能性というものは、ドラマ化することによって、危害がおよぶ内容については、厳しくやってはいけないこと、それは誰もやった事の無い事である故に必要だ。誘惑している悪魔は悪なる親の事である。神はアダムとエバに全てを与え、これだけはやるなと言った。サタンはやっても良いと言って、しかも賢くなれると言った。なぜやってはいけないのか、ということをマルティメディア(芸術)を使って表現する事ができる。ドラマ化して訴える事ができる。サタンは逆に使ったのだ。サタンは天使であった。マルティメディア(芸術)も天使の役割がある。サタンは多くの人間を堕落させることによって、自分の物にした。しかし、サタンも最終的には戻る所がある。
私達にはもっとクリアで優しく言う役割がある。それは親の役割だ。表現する事は、仕事であったとしても、人々はそれを愛ととる。人々はそれで自分を見つけだす。それこそ理想ではないのか。もっと成功して、人々が私達に頼るようになる。しかし、アーティストとしては絶対に満足する事は無い。次はもっと良い物を創らなければならないと言う呪縛から逃れる事は無い。だから、希望を持たなければならない。人々は私達が正しいことをしていることを知らない。多くの親達が喜べる道がここにある。私達は決して彼等をがっがりさせてはいけない。彼等が頼れる存在にならなければならない。これ(芸術)が科学よりも医学よりも最も崇高なものだ。宗教が一番高い物であれば、その下に位置する物だ。人類の最も崇高な物だ。芸術、科学、薬学。芸術は抽象であり、宗教は神についてのものだ。神を知る者が芸術を創ってゆく。科学と薬学は役に立つものとして残ってゆく。科学者であっても心が満たされないと生きることはできない。人間は霊的存在だ。人間はインスピレーションを求めているが、それは現実の中には無いのだ。科学と薬はサイエンスフィクションという形ではインスパイアの対象となり得るだ、それが限度だ。フィクションは現実ではないのだ。存在しないものだ。だからアーティスティックになる必要があるのだ。
私達は可能性を常に考えないといけない。科学も取り込む必要がある。芸術は永遠に魂に仕えるのに最高の道具だ。芸術が魂を導いてゆくのだ。
車の会社でも最終的には創造性、機能とデザイン。現実を超えたものだ。創造性を最優先して現実面を後から付いてゆかせるのだ。曲の場合はどうだ?コンセプトが先だろ?次の曲ではまた違ったコンセプトを創っていく。そして、限界線まで引っ張ってゆくのだ。
Push & Make it function, Art & Science (押し進め機能させる、芸術と科学)狂ったようなアイデアを出してそれを機能化させることによって、常識的なレベルを壊す事ができるのだ。子供のような発想で医学界でも科学でも一点突破
(Break Through)できるのだ。
一般の人々ができるのに、私達ができないという事は無い。私達はもっと善くできるはずだ。疑問視していては始まらない。私達はより善くなるためにやるのだ。悪の為ではない。それは安全だ。謙遜さが全ての鍵だ。私達は一般の人々よりも、より善くマルティメディア(芸術)を使う。最も高い目標を持ち、これに挑む。
2002/6/10
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