蕩減 2006年11月26日 ベルベディア
蕩減
2006年11月26日 ベルベディア
皆さん良いサンクスギビングを過ごせましたか?(11月23日はアメリカのサンクスギビングデイ)
七面鳥の日だろ?純粋に感謝する日かどうかはわからないな。(笑)
蕩減という時、それは重い話題でしょう。しかし、そうであるべきでしょうか?
神の創造の時に、私達がそのものになることを期待していた。神には計画があった。神には究極の神聖なビジョン、創造の目的、その中で私達には極めて重要な役目があった。
その現実だけを見たとしても、それは意義深いことだ。それはその可能性だけでも私達全てが祝うべきことだ。それが成されようが成されまいが、それか私達はまだ成そうともがいていようが、それは結果論である。なぜなら、後から考えると常に20/20だ。
それは究極の神の計画を成し遂げるために、私達に励んで努力させる。私達は戦争のない、たとえ、まだ会った事のない人に道ばたであって握手し、それだけでもずっと関係が持続できるそのような、そのような、人を信用できる世界をみんな夢見ている。
なぜなら個人の関係であったとしても、本当の関係、理想の関係を作ろうと、考えようと努力する事だけでも一生かかる。単に数回会ったというだけでその人の事を知っているという風には言えない。「私は彼がこれをするのを見た、私は彼がそれをするのを見た、私は彼が極端な状態になっている時を見た、私は彼がその反対の状態にいる所を見た。だから、私は彼を知っている」と結論を出せるのか?。しかし、そんなにシンプルではない。人々は変わるし、私達はユニークにな存在でその間の様々な事柄があるのだ。
あなたが個人を理解しようし、神の目から見て特別でユニークな特異的な個人についての基本的な宗教上の教えを受け入れようとするときでさえ、本当に理解しようとするなら一生かかる。
なぜなら、もしあなたがそのような常識的な考えを基本にして理解しようとしないなら、それは誤っている事になるし、その結果は間違うことになる。そして、審判の時に責任を追わなければならない。なぜなら、究極的にはあなたがやっている事が審判される。そしてそれは神の手に委ねられるべきだ。私達は、私達が神のようになろうとする前に、神が成そうとした事、そして理想世界を作ろうとしていることを本質的に理解しようとすべきだ。
なぜなら、もしあなたがなぜここにいて、理想世界を作ろうともがいていることに対する基本的な理解がなければ、私が偉大であるとかあなたが楽しくなるようなことを話すことに何の意味もない。なぜなら、その幸せというのはただあなたを中心としたものだからだ。その偉大さはただ、あなたを中心としたものだからだ。それは、神とは何の関係もない。また誰とも関係がない。
では、私達が私達自身を定義しようとしたり、蕩減というような最も難しい事柄を定義する前に、私達はなぜ神が作ろうとした存在になる必要があるのかということを理解しようとしなければならない。
蕩減についてだが、それはあなたが何かに対して償っているようなものだ。あなたは何かを失ったりダメージを引き起こした場合に、弁償する事によってあなた自身の名誉を挽回しようとする。それがコンセプトであるから、その基準が用意された状況について考える時、そして、その基準が侵害された時に何が起こらなければならない?なぜなら、あなたは争いの道へと落ちてゆくから。それを無くする為に、あなたは何をしなければならないか?
あなたは何かをしなければならない。争いをゼロに戻す為の何かをしなければならない。もしそれができないのであれば、あなたは再建することはできない。なぜなら蕩減は再建することだからだ。それは再創造ということだ。しかし、再建や再創造する過程には、あなたがもたらさなければならない基準がある。自動的にはなされない。あなたにはそのような授受する関係の中に明確な責任があり、その過程を成し遂げなければならない。あなたがしっかりとやらなかったせいで、あなたは争いの中に入ってしまう。
あなたは蕩減の代償を支払わなければならない。そしてゼロにしなければならない。真実な存在になる前にゼロにならなければならない。なぜなら、それには基準というものがあるからだ。究極的には私の考え、あるいは、蕩減のコンセプト・・・。私達がまず始めに成し遂げなければならない重要な点に、あなた自身への期待や期待される状態へ到達する為の方法を考える事だ。特に神聖な関係、神とあなた自身の間の関係において。
あなたがそのことを明確にし、自分自身でやって勝ち取らなければ意味がない。また、あなたが行動や行為を通じて理解する事が非常に重要だ。それを得よ。肩書きを自分のものとするのだ。それが自然なやり方であり、適切なやり方であり、神聖なやり方だ。その方法であればあなたが地上から去った後、その意味が残されるだろう。なぜなら、人は長くは地上に居る事はできないのだから。
私が自分に言い聞かせることは、何らかの基準をもちたいかどうかということが重要だということを自分に言い聞かせる。それをしなければ、その事自体存在しない。あなたが何を言おうが、何をしようが関係がない。なぜならあなたは決してその器をうめることはないし、自分自身の最後の基準をも満たさないだろう。
この世界を見る時に、こっちが極でこっちがその反対の極だとしよう。(演壇の端を指して)この中には"取る人"、"与える人"、その中間の人がいる。取る人は自分の欲しい物を手に入れる為にどんなことでもする。何の為に?あなたがそのような"取る人"に聞いてみたら良い。そしてその反対の人達が居る。では、普通の一般の人はどうだろうか?簡単な小さい球のようなモデルを想像してほしい。その球の中心を中心としてその周りに人々が存在している。それが世界だ。そのような物が私たちが住む泡なのだ。(孝進様は手でボールを描かれる)
しかし、それを隔てる境界線が絶対的に中心であると言えるだろうか?私が思うに、世界は少しこちら側ではないかと思う。(孝進様は演台の"取る人"側の方を示される。)それが問題だ。"取る人"側のような世界は、見たくはないですね。それは神の領分だ。このような現実から(理想に)行くのは非常に遠い。あなた達は私達が神の子であるという理由から、これが本当にできる可能性があるということを想像してみてください。
では、そのようになるがいい。しかし、現実はそれだ。ではそのような人々("取る人")をどのように扱うか?あなた達が全くコミュニケートできないような人々をどう扱えば良いのか?彼らのような生活様式に中毒になっている人々が変わる事のできる言葉はない。そのような人はその生活スタイルに完全にとけ込んでしまっているのである。それが彼らが存在意義を感じるところだからだ。彼らは変わらない。何かが起こるまでは。
不幸にも彼らが変わる事のできる唯一の道は、彼らがどん底に落ちる事以外ありえない。全て失うのだ。ぶつかって燃えてしまうのだ。わかりますか?もしそれがその人の人生に起こらなかったらどうだ?次の世代に引き継がれる。それが問題だ。だからお父様の見方でも、何かを起こすまでには何世代もかかるというのだ。なぜ?なぜなら、その過程を通過しなければならないからだ。彼らをどん底に落とさずにどうにかして変えれなければ、あなた達が口頭で普通のコミュニケーションのやり方で変えれない人々に対して。彼らは全てその過程を通過しなければならない。もし、それが彼らの人生で起こらなければ、それは子供に孫にと引き継がれてしまうのだ。時間がかかる。だから時間がかかる。
では、そのような必然的な変化を起こす唯一の道を知りながら、どうのようにあなたは変えてゆくのか?私達には一体何ができる?難しいという事は明白だ。しかし、誰かがやらねばならない。もし、もう一つの道があっても誰かがやらねばならない。それは長い道のりだ。しかも難しく、終わりがない。しかし、長い道のりならば、私達ができるという可能性があれば、それは私達がやらねばならないことだ。その他のコミュニケーションの方法はない。
私達はコミュニケートしようとしなければならない。一番いい方法を見つけ出そうとしなければ。最も効果的に、世界を動かし揺さぶる今現在の世代への方法であいり、先輩達であり私達の若い人々である。その線でアプローチの仕方で挑戦し続けよう。それしかない。でなければ、あなた方は何かが起こるまで待っていなければならない。それでは非常に不幸な話で、彼らはどん底に陥るまで変われないのだ。私は知っている。彼らは変わらない。
彼らが彼らの欲しい物を持つ事は非常に重要だ。不幸な話だが。それは全て彼らについてのものだ。しかし、それがそういうやり方なのだ。しかも、本当な事だ。あなた達が知るように、これは私の作り話ではない。私の言う事をあなた方は理解しているのを知ってるが、しかし、それが現実だ。私達が持つ唯一のオプションは、私達が信じることを行い、良いコミュニケーションの方法を作ろうと努力することだ。より良い物を見つけ出せ。外の世界のコミュニケーションを使い、それをできるかぎり精巧に作り上げよ。
与えよ、与えよ、与えよ、与えよ、与えよ、。
もし私達が常に人類の存在に関与できたらどんなに素晴らしいだろうか。私達は24時間の物(私達の考えをプログラムすること)を作ってこの世界の大手と競争するのだ。例えば、アメリカを見てみよ。保守主義と自由主義を見る時、私には保守主義は同種についてであるように見える。なぜなら、キリスト教を基本にした伝統があるからだ。韓国や日本のような同種である事の効果がある。ある種の国家主義があるために一体化しやすいのだ。国家の利益のお陰で、宗教上の紛争やそのようなものを見過ごす事ができるのだ。
あなたにも自分の家族内で争いはあるでしょう。私には沢山の兄弟姉妹がいる。信用しなさい。(笑)同じ腹から来たのに、それでもお互いに困惑している。(笑)それが現実だ。
アメリカでも保守主義はそんなものだ。なぜなら全てクリスチャンが土台になっているからだ。自由主義者達は、"私達は伝統などいらない。伝統は少なくていい。境界線を広げよ!限界を広げよ!"というのだ。
"境界線を保て!限界線を保て!""境界線を広げよ!限界を広げよ!" それは、争いだ。アメリカでは保守主義者を扱う時でさえも、統一教会として多くのクリスチャンの教派と共に私達は彼らと競争しなくてはならない。なぜなら、彼らも良い事をしたいからだ。
最近は道徳の退廃について話す事はほとんど流行化していて、それをハリウッドなどのせいにする。それは流行を追う人々だ。彼らはそれに対して何かしようとしている。私達がやるのと同じくらい、彼らもやる。それで、究極的にはどう扱うのか?まず始めに、あなた達は彼らよりも長く続けなければならない。
だから、変化を超えて何かの基準を持つ事は良い事だ。お父様は絶対価値について強調される。それは良い事だ。何について?私達の中にある、彼の血統だ。
それから、私達が普通に他の宗教と共有できる良い内容がある。私達はベストのサポートを彼らに施す。なぜなら私達もまたお互いにサポートが必要だからだ。しかし同時に彼らと競争しているのだ。
イスラム過激派達は率直に暴力で征服するという。それは気違いの人間だ。彼ら全て、どうにか彼らの宗教が標準となりたいと思っているのだ。良く言えばだが。
蕩減のことについてだが、私達が蕩減の本当の意味を理解する事が必要だと信じる。信仰上や訓練によって約束されたと思っているとしても、私達のする全ての事は、勝ち取ってゆかなければならない。なぜなら、それがかなりの人々がお互いにコミュニケーションをとる基本的なやり方だからだ。
ちゃんとした人々が何かを奪おうとしないだろう?あなた達はこの人から"取り"、妹から"取り"、兄弟から"取り" それであなた自身の懐を肥やすのか?"なぜなら、私だけが答えを持っている"?! 私の家にはお父様は一人だけだ。わかったか?
あなたはまずここは教会であって他の何ものでもないということを理解しなければならない。だから、あなたは適切なことをやらないのだ。どんな苦境があなたに降り掛かったとしても、その為にあなたはバカなことはできない。もしあなたが組織的に自覚しながら何かをしようとしているなら、あなた自身が何者か気がついた方が良い。あなたの教会が先であって、その他の物は二の次だ。それは公平な警告だ。
私達はそれを願っているのだ。それは難しい戦いではない。私はそれを難しい戦いだとは考えていない。それは馬鹿げている・・とにかく・・
あなた達まだいるのか?(笑)
時々、正直に言うが、それは防御するための私のやり方だ。私は傷つきたくないのだ。(先週のスピーチで怒ってしまった。)
とにかく・・それについては申し訳ない。あれほど厳しくいうつもりはなかった。あれは私の失敗だ。あなたではない。
また来週。
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